男性が無関心ではいられない「ペニスサイズ」の歴史について紹介します

自分や他人のチンコの大小について無関心ではいられれる男性はそれほど多くないと思います。
実際施術する私に「わたしのは人と比べてどうですか?」と質問なさる方が少なくありません。
そういうとき私は、

「みんなちがって みんないい」

と回答しています。
実際そうだと思っているからです。

ペニスの文化史」に「サイズの歴史」という章がありました。

古代ギリシャ人の理想の男性美は小さなペニスと引き締まった尻で、巨根とデカ尻は逸脱と肛門性交をされる側である印とされ侮蔑されていた(古代ギリシヤでは男性同性愛が問題視され始めた後もケツを掘るのは男性性の誇示としては良いとされた。一方掘られることは恥とされていた。)

また、南米コロンビア、ボーベス地方のインディオ族の社会では、高い社会的地位を得るには、小さなペニスをもっていないといけなくて、大きなペニスは身分の低い男の印であるとされていた。

ダビデ像などのギリシャ彫刻やそれらの時代を描いた絵画なんぞをみるにつけ、なぜチンコが水風呂に入った時のようなことになっているのであろうか、と兼ねてから疑問に思っていましたが、そういう理由だったのですね。

中世ヨーロッパでは、騎士たちは自分のペニスサイズよりも大きめのブラゲット(ファウルカップのようなもの)を使うことでペニスを大きくみせようとしていた。

インド、ペルシャ、アラビアの民話を集めた「千夜一夜物語」には次のようなペニスの大きさに関する物語がある。

「ある女は、ある男の美しさに心を奪われながらも、そのチンコを見て「ヘーゼルナッツほどしかないなんて」とショックを受けるが、自分の身体に触れたことで興奮したイケメンのチンコがラバや象のものと見紛うような大きくて力強いものに変化したのをみて狂喜」

一方、16世紀頃に書かれた古代中国の房中術(性愛テクニック)を集めた「素女妙論」では「男性器の様々な大きさ」という一節がある。

「ひとりひとり顔が違うように男根も生まれつきそれぞれ。大小硬軟は外から見えるもので女を喜ばせることが巧みか否かは外から見えぬもの。死ぬるほど愛していると説き伏せることができれば女は大小硬軟は気に留めぬもの」

すごく男性に勇気を与えるというか、優しい感じがします。

中国は寛大ナリね、と思いきや、同じ中国の書物でも17世紀に書かれた「肉布団」という性愛文学では、自分のペニスが小さいことに悩む人物が外科手術で大きくなった自分のペニスが嬉しくて友人に見せびらかすという話があったりもするらしく、中国でもやっぱりペニスが大きいことのほうが良いとされていたようです。

最初に上げたギリシャ、コロンビアの例を除くと、西洋東洋を問わず、男性にはペニスの大きさと「男らしさ」「性的能力の高さ」「権力の強さ」を結びつける観念があると著者はいいます。

自分のペニスが小さすぎるのではないか、という恐怖はどこから来るのか、について著者は生物学的進化の視点から次のように述べています。

霊長類において、体格と比較した場合ヒトのペニスと睾丸が最も大きい。
直立したヒトにおいてペニスは目立つ位置にある。
そして重要な視覚的サインとなった。(他の霊長類のペニスは弛緩状態ではほとんど目につかない。)
さて、鹿は優越した雄が大きな角を持っていて、角の成長は男性ホルモンと関係しているのでペニスの成長と直接関係がある。
人類はこうした視覚的な男性性の誇示をペニスにも当てはめているのではないか。

また、信仰の視点から、生殖力の象徴としてのファルス(崇拝物。人間ではなく山羊か雄牛の大きなペニス。)と人間のペニスを混同するためかもしれないとも推測しています。

その上で、性科学の多くの論文が、ペニスと男らしさとはなんの関係もないことを示していると述べています。

参考図書;ペニスの文化史  Marc Bonnard (原名), Michel Schouman (原名), 藤田 真利子 (翻訳)

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