2016/11カルサイネイザン研修タイ旅行記13

いよいよ最終日です。

今日はカルサイネイザンの練習をさせてもらえるはずが「ゴメンネ〜アイテガイナイノォ〜」と言い放たれました。

ここの授業管理はゆるくてよくあることなのでマイペンライ。

ってことで、プロフェッショナルクラスにアシストとして放りこまれました。

アシストといっても生徒さんのモデルになるだけの簡単な仕事。

ってのは言い過ぎで、間違えて施術したら指摘しなきゃいけないのでまどろんでもいられず結構なハードワークです。

クラスには日本人の他にスペインでマッサージの仕事をしている30歳の男性がいたのですが、笑顔の天使っぷりが素晴らしく、神様が本気出して作ったんだなと思わざるを得ない、そんな美しさを持つ彼とペアになった時、タイマッサージはゆっくりした呼吸で行うものなのに、心拍数が上がってました。

朝には空港まで校長先生が送ってくれることになっていましたが、お昼になって「ゴメンネ、イケナクナッタノォ」と言われました。

言っていたことがひっくり返るのもよくあることなのでマイペンライ。

結局トゥクトゥク(タクシー的に使える3輪車)を手配して、寮の仲間が別れを惜しんでくれる中、スクールを後にしました。


写真は残った仲間が撮ってくれたものです。


空港には搭乗時刻2時前について余裕しゃくしゃくでした。

帰路はチェンマイ空港-バンコクのドンムアイ空港-成田空港です。

ドンムアイ行きの搭乗口の待合で小説を読みながら搭乗手続きが始まるのを待ってましたが、搭乗時刻15分前に待合がこんな状態。

おかしいよね、バンコク行く便に人がいないなんかあり得ないよね、なんかやらかしたのか自分、と脇から嫌な汗が流れてきた時に、エアアジアの制服を着たお姉さんが走りこんできて「パスポート見せろ」と言うので見せたら、お目当ては私だったようで、「18:30までここで待機しろ。18:30に私がここに来る。心配するな、安心しろ」とまくし立てて別の現場へ。もっと細かいこと言ってたようですが、私のヒアリング能力ではこんな感じに聞こえました。

ふと搭乗手続きカウンターのディスプレイで便名を見ると、私が乗る予定の便ではなく、次の便の別会社のそれに変わってました。

LCCは時間に厳しく間に合わなきゃ置いてかれると聞いていたので、「なに?もう出たの?俺はなにを間違えたの?」とオロっぴぃになっていたらお姉さんがやってきて、なんか雑にパスポートとチケットをチェックして、搭乗カウンターから通路へ私を押し込み、あちらから移動してきた群れに放り込まれ、こいつらについていけ、と。

どうやらこの群れは国内線からの乗客のようです。

この便に国際線から乗るのは私一人だったもんで、搭乗口のスタッフを他に回して不在にしたってことか。

なんというフレキシブル対応。

LCCの経営の秘訣なんでしょうか。

そしてドンムアン空港に到着して人々が進むまま移動すると、国際線の搭乗口がなくて、国内線の出口しかないところに。

これはおかしいと思ったので、バゲッジクレームのところにいたエアアジアスタッフを捕まえて、チケットを見せて「インターナショナル、インターナショナル」と訴えたところ、「一旦出て3階から乗れ」というお返事。

それってまた出国手続き取れってことだよね、っていうか空港の外には出られないチケットなんじゃ?やっばおかしい、と思って元来た道を引き返すと、私の名前を書いたボードを持ったお姉さんが途方にくれた様子で佇んでおられました。

お姉さんも私もお互い見落としていたということですね。

なんとか無事に国際線搭乗フロアにたどり着いたはいいのですが、成田便まで4時間も時間があったのでどうしようかと思っていたらフットマッサージがありました。これで時間が潰せる。

閉まってやがりました。


仕方がないので小説の続きを読みながら、搭乗案内を待ちます。

成田で買った本は、なんの本か謎のまま売られていた覆面本だったのですが、開いてみると、足利幼女連続誘拐事件を追ったドキュメンタリーという重い上に重い内容。

イージーなタイからヘビーな日本に帰るのですから、自分のモードを切り替えるには良いかもしれません。

読み終わる前に日本について、成田からバスで新宿へ。

すっかり寒くなった町を裸足にクロックスで歩き家路に向かいました。

ただいま。

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